宗祖の遺弟、悲泣せよ!! (9月2日の総御堂不審者乱入事件について)

大阪教区川北組顕証寺 近松照俊

 9月2日、単身戦闘服に身を固めた賊が総御堂北階段より堂内に侵入するという事件が起こった。折りしも午前十時半永代経読経中であり、咄嗟の機転で参拝者の安全を確保するも、賊は注意を促した御堂衆に包丁で威嚇するなどし、その間南外陣に灯油を撒き、火を点けようとした。さらに御本尊前の輪灯をひっくりかえし、内陣は油まみれとなり、大変な状況になった。賊は「門主を出せ!」と叫びながら仮御影堂に移り「御真影様」に金属ナットを投げつけ、お腰下三箇所損傷するに至った。御真影様お厨子前に立てこもり執拗に「門主を出せ!」と声を荒げる賊に対し、会行事が穏やかな口調で説得する。職務とはいえ、身命を賭した語りかけであったろう。また、御堂衆も参拝者の安全を確保し、それ以上の危害を食い止めた事は「よくやった」と褒められるべきであろう。警察がやっとの事で到着すると賊は観念して投降した。その後の総局の対応は見事であったと聞いている。

 賊は、ヤスクニ問題において国家神道を非難する本願寺と門主に天誅を下すという目的で侵入したらしい。その後数回にわたって本願寺内を右翼らしき者が偵察に訪れ、ご門主様の動向を窺ったり自分達に対する本願寺の処遇を観察している。これで単独犯ではないことは明らかである。全てにおいて今がまさに非常事態である。

 そして、そして、御真影様がお怪我をされた! なんという事が起こってしまったのか・・・。

ここに今日本願寺派僧侶としてある私たちは宗祖を仰ぎ、その恩徳を報ずべく代々「御真影様」中心に生かされて生きてきたのである。僧侶はもとより御門徒に至るまで、御真影様の御前で 宗祖親鸞聖人のお手代わりとしての御門主様より「おかみそり」を頂き、御真影様の「直弟子」とならせていただいた。覚如上人の「報恩講式文」の中にも 「祖師聖人はすでに弥陀如来の應現と称し」と著され身近に感じ取っておいでになる。そのお徳を決して忘れないようにという意味合いで報恩講が始まったことでもある。その、まさに、阿弥陀様の「應現」としての親鸞聖人が「御真影様」なのである。生きて眼前に存在し、私の親さまになって下さっている。蓮如上人も常に対面し、問いかけ、苦楽を共にされたことである。

 そこには頭で考えた机上の論理・学問は存在しない。まさに生きておられる祖師が私を導く為にそこにおわす、御真影様とはそのような存在である。恥ずかしくも残念ながら、お側でお育てにあずかっていることに安穏とし、概念の中に自己を埋没させてしまっていた自分に今更ながら気付いた次第である。もし、親が災難に遭った事を知れば何を於ても飛んでゆくことであろう。ところが今回は事件を後で聞いて「あぁ、大変だったなぁ」だけで、後のことはお任せしてしまったのである。何ゆえ飛んで行かなかったのか? 何ゆえ行けなかったのか? 大きな問題がここにある。それは何かというと、浄土真宗の僧侶としての本分が欠如していたという反省を自分自身禁じえないのである。この事件によって冷水を浴びせられた如く、大事な事を蔑ろにしていたことを思い知らされたのであった。

 もったいない/生命を大切に/命の尊厳/如来大悲の恩徳は身を粉にしても…等、口に出してはいても何と軽いことだろうか。そういえば毎日の天災人災のニュースにも「大変だなぁ」「へぇー、そんな事が」と驚くのもその時限りで、すぐ他人事になってしまう。そして慣れてしまっている。言うなれば、人間的な温かみなど微塵も無いプラスチック製の心である。如来に願われている事を日々お聞かせ頂いているはずの私が、こんなはずでは、と自らに問いかけずにはおれない。宗祖聖人が「如来の遺弟 悲泣せよ」と正像末浄土和讃の第一首目にあげられたことに今更ながら想いを深くすることである。憂い、哀れみ、悲しみのあまり涙することの大切さを人間は忘れてはならないとの仰せであろうかと存ずる次第である。

 今回の事件は、人を指さすことなく自らに猛省を促すものであって、それぞれが痛みを痛みと感じ、御真影様が傷つかれた事を心の内で悲泣し、素直に御真影様中心の熱き想いを展開する為の契機としなければならない。同時に、最もご心労されておられるご門主様そして大谷家御家族のお気持ちを忘れてはならない。今からでも決して遅くはない。どうか「御真影様」に近しく足繁くお会いして頂きたいと思うのである。ここに、真宗僧侶たるもの、宗祖の月忌(15,16日)にふるって出勤出仕をしようではないかということである。毎月の月忌は堂内寂び寂びとしている。本願寺がこの様であっていいのだろうか。誠に憂慮にたえない。御真影様を慕う者、皆御堂衆! 速やかに意を決して宗祖の月忌に出勤・出仕すべし!! 今、まさに危機である。

(平成171019日付)